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年間製作本数がごくわずか、奇才トーマス・ウェインです。
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キューメーカー紹介 −Ginacue profile−
                                                           

                  Ginacueのカタログです。小さな写真ですので、ご参考までに。Catalog of Ginacue


◆Introduction
ジナキューはキューメーカーにも尊敬される存在です。

エンジニアとしても優秀で、キュー製作に要する機械を自作しています。趣味はバイクで、日本製のレーサーを数台所有し、自分で改造しています。

彼は常に最上級の原材料にこだわります。
一所懸命やれば結果はついてくる、
・・・と彼は語ります。



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Ginacueの歩み

◆Biography
アーニー・ギュテレスがキュー作りを始めたのは、ジョージ・バラブシュカがキュー作りを始めた僅か2年後であり、その8年後にはガス・ザンボッティがキュー作りを始めた。ジナキューは映画にも登場している。「アメリカン・プレジデント(原題)」に主演するマイケル・ダグラスから大統領にふさわしいキューだと選ばれたのだ。

アーニーの父は木工職人で趣味で楽器作りをしていた。木工芸術への関心と知識を持ち、ビリヤードを楽しんでいたティーンエイジャーは、やがてキューの修理を始める。この時期の著名なキュー職人はロサンゼルスのハーベイ・マーティンや、シカゴのハーマン・ランボウ、ニュージャージーのフランク・パラダイスぐらいであった。

1962年の初め、アーニーが最初のキューを製作した日は、娘ジナが誕生して僅か6日後だったことから、彼は工房を”ジナキュー”と名づけた。この頃キュー業界は映画「ハスラー」の影響もあって復活し、アーニーにとって難しい商売ではなかった。1962年の終わりにリッチー・フローレンスがジナキューを携えてローカルトーナメントで優勝してからは、注文が殺到した。この頃のジナキューは65ドルで売られていた。しかし偉大なキューメーカーとしてその名を認められたいと考えていた彼は、単純なデザインの従来のキューにかわって、めずらしい素材と芸術的なデザインのキューを作れば売れるのではと感じていた。

1966年、現在でも見劣りしないキューを作ったとき、そのキューを手にイリノイ州ジョンソンシティのトーナメント会場に赴き、キューを披露し人々を驚かせた。200枚用意した彼の名刺は1時間で無くなったという。

60年代の終わりには、貴金属、宝石までも多様に使用したキューを作り、数千ドルという当時でも高価な値段で取引されていた。顧客リストにはディーン・マーティン、フランク・シナトラ、サミー・デイビスJr.、スティーブ・マックイーン、ピーター・フォークなど他にも多くの著名人が名を連ねていた。70年代になると、スタイルとプレイアビリティが評判になり、多くのプレイヤーがジナキューを使うようになっていた。カスタムキューメーカーとして彼は尊敬と賞賛を成し遂げた。

他の分野への興味と関心から、1973年にアーニーはキュービジネスを離れ、レースカーと航空機のデザイン・設計に没頭した。インディ500で走る彼の"Lola"の燃料噴射システムも手がけた。さらに産業器材を設計して、専門機械加工と溶接に関与した。

いつかはまたキュービジネスに戻ろうと考えていた彼は、1988年にカムバックした。設計と製造での15年の経験を生かし、キュー製作の大部分の機械を自分でカスタマイズした。今でも多くのキューメーカーが見学に訪れる彼の工房は北ハリウッドにあり、現在もキュー職人として活躍している。
                                 -"Blue Book of Pool Cues"より抜粋引用-



◆日本の皆さんへ
日本でも私のキューが高く評価されていると聞いて嬉しく思っています。私のキューに関してコメントがあれば、いつでもcueagentを通じご連絡ください。カスタムジョイントキャップも製作します。
ご相談ください。